つれづれ読書日記

日々の読書感想を、読みっぱなしにしないで忘れないうちにメモしておきたいと思います。

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不思議な少年

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マーク・トウェイン/中野好夫訳(岩波文庫)

 マーク・トウェインといえば、「トム・ソーヤーの冒険」「ハックルベリー・フィンの冒険」が名高く読んだ人も多いと思う。この本も、以前ちょっと読んでみようかなと思い「積ん読」しておいたものを何年ぶりかで「たまたま」読んだものであるが、大変面白い小説で、意外ともうけものをしたような気分であった。
 トウェインがこんな小説を書いていたのはまったく知らなかったのであるが、中野好夫氏の解説によると、晩年はかなりペシミスティックな人間観を抱いていたようである。
 3人のこどもたちの前に、あの悪魔の親戚である天使のサタンが現れ、いろいろ面白いものを見せて子どもたちを楽しませ、時空を超えて世界中を案内してくれる。その内容は、人間の愚かさ、残虐性をこれでもかと見せつけるものである。生きるためでなく「ただ残虐性のためだけに他人を殺す生き物は人間だけである」というサタンの言葉は説得力があり反論しようがない。
 中世の魔女刈りや戦争による大虐殺など、サタンの見せつける愚かな事例は、この小説の書かれた19世紀末の時代でも十分に説得的なのであるが、その後の20世紀に人類の経験した第一次、第二次の世界大戦や、ホロコースト、原爆の投下などの事例を見れば、サタンが罵倒してやまない人間の愚かさ醜さの事例は、さらに確実に例証されたと言わざるを得ない。
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  1. 2008/03/09(日) 12:39:16|
  2. アメリカ文学
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ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー(Daisy Miller)」

西川 正身訳/新潮文庫

 たとえば、衛星中継を通じて、日本とアメリカの若者でリアルタイムの討論会があったとしよう。日本人はおおむねきっちりとイスに座っている。アメリカの若者は、ガムをくちゃくちゃ噛みながら、ジーパンの足を高く組み上げてラフなスタイルで討論にのぞんでいる。こんなシーンがあったとして、アメリカの若者に対して「行儀が悪い、失礼だ」と感じるか、「自由で気楽な感じでいい」と感じるか、あなたはどちらだろう。いずれにしろ、このときアメリカの若者に「悪気」はないのである。文化と歴史の違いであり、行儀作法などをうるさく言わないアメリカ人のとらわれのなさ、無邪気さには良いところもある。
 19世紀の終わりに発表された「デイジー・ミラー」を読んでこんなことを考えさせられた。アメリカ人の大金持ちの二十そこそこの娘デイジー・ミラーは、ヨーロッパに遊びに訪れ「初対面の男に声をかけられて、口をきき」、男友達と街中のあちこちを遊び歩く。それは当時のヨーロッパのアメリカ人の社会で顰蹙を買う。ただ、本人はいたって無邪気で何の悪気もなく、ただ自由に振る舞っているだけなのである。歴史の古いヨーロッパ社会と歴史の浅いアメリカ社会との落差がここにある。
 主人公のアメリカの青年は、若く美しいデイジー・ミラーに惹かれるのだが、イタリアの美貌の青年と遊び歩く彼女に対してやきもきと心配する。しかし、月の光に照らされた夜中のコロッセウムを見に来て熱病にかかり、デイジー・ミラーは死んでしまう。後に謎と神秘と虚無が残される。

テーマ:本の紹介 - ジャンル:小説・文学

  1. 2008/01/21(月) 13:13:11|
  2. アメリカ文学
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